ブログ-ファームと愉快な仲間たち

Vo.05 平川敦雄の歴史「道のりと思想」
第三章 修業時代 〜ブルゴーニュからボルドー、ロワール、そしてニュージーランドへ〜

ピュリニー・モンラッシェからサンテミリオンへ
10年の歳月を経て、渡仏直後の“何も喋れない。何も出来ない生活”から、私を取り巻く境遇は明らかに変ってゆきました。醸造士、技術士、ソムリエの国家免状を取得し、これらの資格がフランスの名ワイナリーで働くという夢を可能にしてくれました。当時32歳の私はブルゴーニュのドメーヌ・ルフレーヴにて栽培・醸造に携わり、夜や週末はレストランでソムリエとして夢中で働く毎日でした。天候に恵まれた2005年、モンラッシェ、シュヴァリエ、バタール…と醗酵時から畑ごとの味わいの特徴がはっきりと現れ、まさにピュリニーのテロワールが有する物凄さを実感しました。醸造期が過ぎると、冬からは専ら畑作業にて過ごしました。密植で仕立てるコート・ドールでは樹高が低く、屈んで剪定や母枝固定を行わなければなりません。真冬はとにかく厳しい寒さの中での作業の連続でしたが、ルフレーヴが実践するバイオダイナミック農法を通じて各地の農学者や技術者との交流もたくさん生まれ、その農業思想に多大な刺激を受けました。初夏が訪れた頃、アンヌ・クロード・ルフレーヴ氏から、「ここで長く働いてほしい」との嬉しい提案を頂きましたが、更なる経験の蓄積が必要と考え、その時は「はい」とは言えませんでした。「必ず戻ってくる」と伝え、2006年の醸造期からはシャトー・シュヴァル・ブランに行くことを選択しました。全てをやり抜いてからワインを造りたい土地はブルゴーニュであるという気持ちはずっと心の中にありつづけました。

シャトー・シュヴァル・ブランにて
シャトー・シュヴァル・ブランへは、ボルドーの植物生態学・土壌学の権威であるケイス・ヴァン・リューベン氏を通じて採用が決まりました。ケイスは滞在3年目の私を研修生として受け入れてくれたシャトー・ラフルールのオーナー、ジャック・ギノドー氏の大親友で、ボルドーの国立技術士養成校であるENITAの教授を務め、私の母校であるアグロモンペリエでの講義も担当していました。醸造チームの中には、のちにペトリュスの社長となるオリヴィエ・ベロエ氏とも一緒でした。世界を代表する銘酒の中で働いた経験は、今の私にとってかけがえのない財産です。更にシュヴァル・ブラン勤務中に挑戦したのが、ボルドー大学醸造学部が認定するワイン鑑定技能試験“DUAD”でした。醸造責任者、ワインジャーナリスト、ソムリエ等のプロのワイン職人達を対象としており、ドニ・ドゥブルデュー教授やジル・ドゥ・ルベル教授をはじめ、現代醸造学の権威ある先生からフランス最先端のワイン科学を集中的に学ぶことができます。フランス国内で取得できるテイスティングを専門とした資格ではもっとも難しいと言われ、私は2003年にアグロモンペリエで技術士・醸造士の試験をパスした時の過去のレジュメも全て読み返して最終試験に挑みました。最高得点を獲得し、首席にて免状を取得しました。合格後、研究時代にお世話になったボルドー大学醸造学部の富永敬俊先生を訪ねました。先生は「平川君はいつか必ず日本に帰って日本のワイン業界に貢献できる人になりなさい。それが貴方の使命だ。」と仰いました。それが富永先生からの生前、最後の言葉となりました。

ベルナール・ボドリ氏との出会い
再び夏がきて、例年の様に小田急山のホテル、箱根ハイランドホテルでソムリエとして働き、秋には再度フランスに戻り、ロワール地方シノンにあるドメーヌ・ベルナール・ボドリの醸造者として働きました。前年冬にロワール地方のワイン品評会でベルナール・ボドリ氏と出会ったことがきっかけでしたが、初めてこのワインを味わった時の感動は今でも忘れません。彼のワインはブドウが育った土質ごとに区画個性が明確で、自然に対して誠実、人柄がワインに溢れていました。夏が冷涼であった2007年はブドウの熟度が高くありませんでしたが、醸造期をほぼ任され、満足のゆく高品質のワインを生み出すことができました。シノンでは、ソミュール・シャンピニーやブルグイユの生産者との交流も盛んで、毎日のように飲み会がありました。ロワール地方のワインは美食のテーブルには欠かせない存在です。シノンの品種であるカベルネ・フランからは、熟成するライトボディーからフルボディータイプの赤ワイン、シュナン・ブランからは辛口から甘口、更にスパークリングワインと様々なスタイルが存在し、ロワール産ワインの味わいの多様性はとても奥深い世界です。心の優しいベルナールや息子のマチューのワインには人間味が感じられるという姿を目標に、私自身も、生産者としての思想やこだわりがワインを通じて表現されるように努めてゆきたいです。

ニュージーランドへ
2008年2月にシノンからニュージーランドのマルボロに飛びました。フロムワイナリーのハッチ・カルベレール氏に履歴書と手紙を送ったところ、「これまで働いてきたワイナリーのワインを全て持ってきたら直ぐ採用」との冗談混じりのお返事が来て、即歓迎して頂きました。ニュージーランドは無限の自然の美しさを有しています。温暖な海洋性気候と冷涼な南極由来の南風の影響を受け、また世界で最も紫外線量が多いゾーンにあたり、強い太陽光線を浴びてブドウが育ち、昼夜の温度差が大きい中で熟期を迎えます。「土がまだ若い。」という言葉がありますが、開墾後間もなく、化学肥料等が一切入っていない健全な大地がまだまだ存在しており、生きた土と生態系の存在がワインの品質に作用する自然環境を有しています。5年樹から高品質のワインが生まれている状況は歴史の浅い北海道のワイン産地にも共通する要素があると思います。フロムワイナリーのピノ・ノワールの品質は既に世界的に有名ですが、セントラル・オタゴ、マルボロ、マーティンボロのピノ・ノワールはやがてブルゴーニュに続く産地となってゆくのではないでしょうか。

熟期の見極めと、最低限の醸造的介入
世界中で最も素晴らしいワインは、未熟でも過熟でもなく、正確に熟す品種の存在があって生まれています。地域の生産者と共に、ブドウ栽培の経験的知識の蓄積や歴史づくりへの目標を持ち、その場所と気象の表現を追求してゆかねばなりません。伝統産地のグラン・クリュでは区画固有の味わいが品種個性をも超越しています。ニュージーランド産ワインはブドウ栽培に適する気象面でのメリットが高い産地であることは間違いないですが、若い土壌が有するありのままの精粋さは、ワインに土壌由来の生き生きとした味わいをもたらしています。更にワインの中の精粋さは、我々が味わったり、感じたりすることができるものです。特にワインの味わいの中の余韻は、土壌の状態と土壌微生物の存在の豊かさの表現でもあり、最も素晴らしいテロワールのワインは、生産者の愛情と信頼、そして最低限の醸造介入によって生まれています。

大先輩と過ごした時間を未来に
ニュージーランドの滞在生活を経たために、ブルゴーニュに戻る予定が、フランスの更新ヴィザが発給されないという事態に陥り、ここで私のワインつくりに掛ける夢が一旦終わりを迎えます。アンヌ・クロード・ルフレーヴ氏は毎年のように「一緒にゲーテナムに行こう」と誘ってくれましたが、実現することなく他界されました。私の人生を大きく変えることになったマス・ドゥ・ドウマス・ガサックのエメ・ギベール氏、シャトー・マルゴーでお世話になったポール・ポンタリエ氏、そしてボルドー大学醸造学部の富永敬俊先生…今は亡き大先輩達から学んだ時間や思いを糧に、ソムリエとして日本への完全帰国を決めました。

投稿日:11:25 AM | カテゴリー: ストーリー